バイコム誕生物語。by米田会長インタビュー その①

現在、株式会社バイコムの会長であり、昨年にはテクノバイオ株式会社を設立、
益々、活動の幅を拡げておられる米田哲さんにご登場願います。
本日はよろしくお願いいたします。
米田さんはバイコム創業前に外資系証券会社に勤めておられたと聞いています。
バイコム創業前、私はメリルリンチの大阪支店長をしていました。でも組織の長だから忙しいかっていうとそうでもない。外資系は自由なんです。だから社内は一匹狼の集まりでした。しかし会社は実にシビアで数字を割ると翌日クビです。ファックスがニューヨークから入ってきます。明日から来なくて良いよと(笑)。でも実入りも大きい。出来る人間はいくらでも稼げる。やらない人間はどんどん排除される。そういう会社でいました。
ご自身がスキューバダイビングをされていたことが事業を始めるきっかけになったと。
メリルリンチ在籍時、私は毎年沖縄に行くのが恒例でした。
行くのは久米島や石垣、西表、いわゆる八重山諸島。一週間ほど滞在し、スキューバダイビングをしていました。とにかく海がきれいで。それまでは大阪湾しか知らなかったものですから(笑)。
海の底が見える、泳いでいる魚が見える、わかります? 驚きと感動の連続でした。
何年いったかなあ、7、8年は連続で行きましたね。
とにかくあのきれいな景色、海を切り取って、自分の部屋に水槽を置いて再現したいと。
それが30年以上前の話です。
当時、まだアクアリウムが確立されなかった時代ですから、とにかく水換えです。
2、3日に一回、3分の1とか4分の1の水を換えていく、それしか方法がなかった。
でもいくらきれいに管理していてもすぐに魚が死んでしまう。なぜだろう。海では放っておいても魚は生きているのに水槽だとなぜ魚が死んでしまうのか。そこからが始まりでしたね。
今回はここまで。続きは次回をお楽しみに。