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バイコム誕生物語。by米田会長インタビュー その③

2019.03.20
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今回は、会社設立時に起きた阪神淡路大震災からのことを

米田哲さんにお聞きしています。

 

会社を設立された時のことを教えてください。

 

1994年、本社を神戸に会社を登記しましたが、翌年に阪神淡路大震災が起こりました。

借りていたビルは被災、神戸のどこにも借りられるところがありませんでした。

震災直後は、まともに残っている建物なんかありませんでしたから。

そうこうしているうちに幸い業者からお誘いがあり、三田の土地を紹介して頂きました。

千丈寺湖にある青野ダムの近くで農家さんから農地を借り受け、調整区域でしたが建物を建てる許可を頂き、3年の契約で3棟のプレハブを建て、研究室、事務所、出荷場を皆と手作りし、使用していました。

約1年間は一人で研究をしていました。また前職の仲間が手弁当で手伝ってくれ、本当に助かりました。

まあ、静かな場所です。イノシシやキジはいるし、イタチは走り回るし、マムシ注意の看板も(笑)。

その後、兵庫県篠山市に拠点を移し、ヒラメの陸上養殖を始めました。その事業がマスコミにも取り上げられるほど有名になり、大阪府から事業所を提供するから持ってこないかとのお誘いいただき、和泉市にある大阪府立産業技術研究所内の先端技術棟に2部屋を立ち上げた。しかし高槻の家からは通えませんので、岸和田に部屋を借りました。約1年間、単身赴任です。

地道に研究をしていると、投資家や金融機関からの援助が頂けるようになり、会社として形が整いました。研究室も最初はただの箱で何も使えない状態から、そこに機材を入れました。研究員は様々な先生方から紹介いただき、古川先生や熊本大学、水産関係では東海大学の秋山先生の愛弟子さんとかが入ってくれ、優秀な研究員を揃えることができました。また機材についても10億近くを投資しました。

その頃はスーツを着たこともなく白衣で研究をしていました。会社が出来て3年くらいは椅子もなかった。常に研究室にいましたから(笑)。

その後、研究が落ち着き、府が運営する千里のライフサイエンスセンターに本社を移転した時に初めて私の部屋が出来ました。でも苦痛でしたね。社長室では研究も何もできないわけです。

業務はデスクワークや営業の指導など。経理も任せていましたし。ものすごく不自由でした。

だから本社を研究拠点のある和泉市に移した時は本当に水を得た魚の様でした。

社長というのが本当にうっとうしかった。出来れば学者でもなく、研究者でいたかった。

当時、国の工業技術院というのがあり、よく行かせていただきました。そこの本城先生は「その世界でナンバーワンの方に聞きなさい。」それだけは口が酸っぱくなるほど言われました。

たまたま古川先生は水処理、微生物の世界では日本トップ、世界でも三本の指に入る方だった。

何を聞いても的確にわかることはわかる、わからないことはわからないとはっきりおっしゃってくれる。

現在もバイコムの技術顧問、さらにはその後に設立した株式会社テクノバイオでも技術顧問になっていただいています。古川先生はお金で動く方ではなく、熱心にしている人には助けていただける素晴らしい方です。自分の知識を与えてくれる方です。本当に感謝しています。

 

今回はここまで。続きは次回をお楽しみに。

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